阪神バス株式会社(はんしんバス、英称:HANSHIN BUS CO,LTD.)は、阪神電気鉄道の子会社で、阪急阪神東宝グループのバス事業者。, 阪神電気鉄道が行ってきた直営バス事業(阪神電気鉄道自動車部)を、2006年から2009年にかけて分社化により設立した企業。兵庫県尼崎市・西宮市を中心に大阪市から神戸市にかけての阪神間をカバーする一般路線、大阪・神戸・尼崎・西宮から大阪国際空港および関西国際空港への空港連絡バス、大阪・神戸から中国地方・四国地方への高速バスおよび観光バス事業を行っている。, 一般路線の運行エリアは、西宮市南部を中心に、東は大阪市福島区の野田阪神前及び同市北区の天神橋筋六丁目、西は神戸市中央区の神戸税関前、北は宝塚まで広がる。大阪ローカル線・北大阪線・尼崎芦屋線・西宮神戸線など、旧路面電車線である国道線・北大阪線などをそのまま転換した路線、尼崎宝塚線のように鉄道未成線を代替した路線も存在する。特に、西宮市・芦屋市・宝塚市には市営交通事業がないため阪急バスとともにその代わりを担っている。なお、西宮市内では、南部が阪神バス、北部が阪急バスと役割が分担されている(一部で重複あり)。阪急阪神ホールディングス統合後に、相互に乗り入れる新路線も出来たが、以後は撤退・縮小・減便となった。, 社章はHanshin Busの頭文字「HB」をハートの形にしたもの。路線車においては、社名部分の変更と前面行先表示脇・側面・後面に阪神バス社章を張り付けている。分社化以前に購入した車両のうち、阪神バスに完全移管される前に阪神バス西宮浜営業所に所属していた車両については一部を除き、阪神電気鉄道の社章である稲妻がレールを囲んだマークを残すが、それ以外の分社化以前の車両は社名部分の変更のみが行われている。阪神バス籍で購入した車両については、当初より阪神電気鉄道の社章に代えて阪神バス社章を取付けている。, 事業者としては目立たないが、1982年に業界で初めてMCA無線を導入。これを利用した運行管理システムも整備した[4]。また2002年2月1日には、一般路線バスの運賃を全線均一の210円(大阪・神戸市内で市バスと競合する区間は200円、この区間の利用のみ整理券が必要)としたことでも注目された。阪神バスではほとんどが短距離の初乗り区間利用が多いため、乗り口へのカードリーダを省略し、コストダウンをはかれるためである。導入前後で運賃収入の大きな変化は見られなかった[注釈 1]。, 呼称は阪神電鉄直営時代は「阪神電鉄バス」としていたが、現在の社名でもある「阪神バス」と呼ばれることもあった。また、沿革で述べる歴史的な事情から、高齢者を中心に今もなお「阪国バス」と呼ぶ人もいる。, 2016年3月20日に尼崎市交通局からバス事業が移譲され、「尼崎市内線」として同社の路線網に組み込まれる事となった[6]。同年4月1日よりSuicaなど交通系ICカード全国相互利用サービスに対応を開始した。, 現在の阪神バスの母体は、かつて「阪国バス」と呼ばれた阪神国道自動車である。同社は1928年に阪神国道とも呼ばれる国道2号線の開通と同時に設立された乗合バス会社で、「マッチ王」で知られた滝川儀作、阪神電気鉄道そして阪神急行電鉄(現在は阪急電鉄)の三者を大口出資者として設立された。翌1929年、大阪・福島 - 神戸・滝道間を開業。まもなく滝川の持株は阪神側に渡り、1932年阪神系の鉄道未成会社・宝塚尼崎電気鉄道の合併で阪国バスは阪神電車の関連会社となる。結局1945年、京阪神急行電鉄は阪神国道自動車の持株を阪神側に譲渡し、阪国バスは完全に阪神電車の系列下に入る。1949年、阪神電気鉄道は阪神国道自動車を合併。以降、暫くは「阪国バス」の呼称のまま阪神電車直営のバス事業が再開された。, 元来、阪神電気鉄道は1929年に直営バス事業を開始。路線によって「甲南バス」「西宝バス」「阪神バス(旧)」「芦屋バス」等の呼称を使い分け、阪神電車の培養線として、また阪急の阪神合同バス(現在の阪急バス)に対する防衛線として機能していた。1933年、阪神乗合自動車を設立して分離。同社は淀川乗合自動車を合併し、阪神沿線のバス事業者として営業を続けた。が戦災の被害が甚大で戦後の復興もままならなかった。, 阪国バス合併後の阪神電車のバス事業は直営と阪神乗合自動車の二本立てであったが、1958年阪神乗合自動車はバス事業を阪神電気鉄道に譲渡し、阪神タクシーと改称。タクシー専業となる。ここに阪神電鉄グループの乗合バス事業は一本化され現在に至る。, この間、尼崎市営バスの開業に伴い、運休中の尼崎市内線を廃止。また、芦屋市内の路線は不採算のため昭和30年代に撤退したため、尼崎市営バスの事業譲受までは阪神国道・尼宝線の他はほぼ西宮市内に路線が集中していた。, 以後、阪神国道線と甲子園線、北大阪線が廃止されたことによる代替路線バスの運行などもあり、バス事業は阪神間の都市部を中心に発展することになる。, 1995年に発生した阪神・淡路大震災では、被災地を走る阪神電鉄バスも運行不能となる路線が出るなど大きな影響を受けた。代替バスの運行や定時性が確保できないため尼崎神戸線が一時期西宮を境に分断されたほか、震災によって沿線の人口が変わるなどしたため利用者が減少、採算も悪化した。その間、2002年には先述のように運賃210円均一の導入もし、利便性の向上も図った。, このため、2005年12月14日に分離子会社として阪神バス株式会社が設立された。まず、2006年6月14日から阪神西宮発着の一般バス路線[注釈 4] と三宮 - HAT神戸の路線を新設された西宮浜営業所を拠点に分社化し、2007年からはユニバーサル・スタジオ・ジャパン発着の空港リムジンバスも同社に移管された。, その後、阪神バスは設立時より黒字を計上できるほどに採算が改善されたことから、2009年4月1日より会社簡易分割により阪神電鉄直営の全てのバス路線を継承し[10]、阪神電鉄バスは阪神バスへと生まれ変わった。同時に路線再編、ダイヤ改正、一部停留所名の変更も実施した。, 2008年11月、尼崎市交通局が経営の合理化の目的で、路線の運行を含む武庫営業所の業務について管理委託事業者を公募。2009年1月に事業者としていったんは阪急バスに決定するも、運転手の処遇を巡る問題により中止され、かわって2009年12月1日より阪神バスが受託することとなった[11]。 阪神バスの「宝塚」バス停留所のバスのりばを地図上でご案内。乗りたい路線の「バスのりば」をわかりやすく!宝塚バス停に停車するバス路線系統一覧をご覧いただけます。宝塚のバス時刻表やバス路線図、周辺観光施設やコンビニも乗換案内nextのサービスでサポート充実! この後、6年あまりが経過した2016年3月20日には、尼崎市よりバス事業の移譲を受け、尼崎市内線として運行を開始した[6]。, 移譲にあたっては、尼崎市バスの路線や運賃制度などサービスについて、3年間変更せず維持する規定が盛り込まれており[12]、乗車方式やサービスの提供内容に差異が生じるため、尼崎市内線を除いた従前よりの阪神バスの一般路線には総称として阪神線の名称が与えられ、それぞれ区別されることとなった。, 2017年3月31日には、旧尼崎市交通局から移譲され尼崎市内線でのみ運用していたバスロケーションシステムを阪神線にも拡大、ジョルダン株式会社の「MovEasy」が採用され、同時に尼崎市内線のシステムも更新された[13]。, 同社が運行する高速バス・空港リムジンバスにはサラダエクスプレスの愛称名が付いている。, 大阪国際空港路線は、阪急系の大阪空港交通とともに、早くから参入。現在は、大阪梅田・神戸三宮に限らず阪神間の都市発着も運行する。関西空港路線は、開港時に神戸・尼崎・大阪梅田路線を開設。のちに西宮やUSJが加わった。2006年に開業した神戸空港発着の路線があったが、短期間で運行休止となった。, 2016年3月に尼崎市交通局移譲路線が「尼崎市内線」として加わったことに伴い、既存の阪神バス路線は「阪神線」の名称で区別されている。阪神線は後乗り前降りで運賃後払いで両替方式、尼崎市内線は前乗り後降りで運賃先払いで釣り銭方式となる。, 路面電車の北大阪線を代替した路線。大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の58号系統とは野田阪神前 - 中津間で並行する。中津以遠は、ちゃやまちアプローズなどがある北野を経て、天六の交差点で終点となる。かつては電車の終点を利用した折り返し場があり、バスを後退をさせる必要があったため係員が常駐する小さな小屋が存在し後退補助を笛合図でおこなっていた。廃止(天六交差点付近の一方通行化)された後は天六付近をループ運行としている。かつての停留所に進入する道路は一方通行であるが、バス折り返しの名残で変則的な形の対面通行の区間が中津側に一部残っている。中津付近も野田阪神方向は中津六丁目を経由する形になっている。運行開始後長らく15分毎での運行が続いたが、下記の大阪ローカル線同様に利用者減が進み、2002年2月のダイヤ改正からは30分毎に減便、さらに2007年8月からは、天六乗り入れを朝夕のみに縮小、日中は全便が中津折り返しとなり、運行間隔も40分毎となった。2013年10月1日改正で天六発着は2往復(朝夕1往復ずつ)となり、他はすべて中津止まりとなった上で運転間隔も調整(最大2時間空く)された。2018年12月22日改正では、平日は朝夕のみの運行となり、天六発着は廃止。土休日は昼間(野田阪神前発8時 - 16時台)のみの運行で、天六発着が最終1便のみの運行となった[14]。, もとは阪神国道線廃止区間の大阪寄りと、大阪 - 神戸線の大阪側という両方の性格を持った路線である。「野田杭瀬甲子園線」とも称す。もともと大阪は梅田新道からの発着で神戸まで直通していたが、野田阪神前 - 甲子園に短縮(尼崎以西は尼崎神戸線に分割、現在は尼崎芦屋線と西宮神戸線に再分割)、さらに国道線電車の廃止により増便も行われたが、利用者離れが進み、一時期は野田 - 甲子園間を昼間時16分間隔で運行していた。しかし、JR東西線の開業や歌島橋付近の慢性的な渋滞の影響で大阪市内での利用者減もあり、2002年の改編時に甲子園 - 杭瀬間を20分毎、以遠を倍の40分毎にまで減便した。1990年代後半には中型車も入るようになったが、それ以前も旧年式車が多く非冷房車が最後まで使われていた路線でもあった。2007年8月20日にダイヤを変更し、野田 - 甲子園間直通は、平日ダイヤで野田発4回(浜田車庫止め4回)、甲子園発2回(他は浜田車庫および阪神杭瀬駅まで。浜田車庫発野田行が他に6回)のみと大幅に減便され、その他区間便も30〜50分毎に減便される。2013年10月1日の改正で野田 - 杭瀬間はわずか1往復のみとなり、他の便はすべて杭瀬 - 甲子園間(一部浜田車庫発着)となった。また、全区間通し運行もなくなり、野田発着便は浜田車庫までの運行となっている(早朝に浜田車庫→野田、夜に野田→浜田車庫が1回ずつ)。さらに2016年2月1日の改正で、野田方向は阪神杭瀬駅北始発に短縮したため(平日は別途浜田車庫→阪神杭瀬駅北の便を新設)、野田 - 浜田車庫間の系統は夜の野田発1便だけとなった[15]。, 元は尼崎と神戸を結んでいた尼崎神戸線であった。同路線は長距離(24 km)故に定時性確保が難しくなっていた。このため、2009年4月1日の分社化に際し、定時性確保の観点から路線分割により芦屋までの運行(12 km)とし、これとは別に西宮からの西宮神戸線を設定した。芦屋市内路線の撤退後、阪神芦屋には阪神バスの単独路線はなく、業平橋停留所とともに阪急バスの停留所に併設される形となった。運行間隔は尼崎神戸線時代は12分毎であったものを15分毎に減便した(西宮戎 - 芦屋川間では西宮神戸線が加わるため増便)。起点と終点付近を除き、国道2号を走行する。この路線分割により、利用する停留所によっては乗り換えが発生(尼崎芦屋線の阪神尼崎 - 西宮市役所前と西宮神戸線の津知 - 神戸税関前の相互間)し、これに対する乗継割引も設定されていない為、運賃も分割前(大人210円、子供110円)の約2倍(大人420円、子供220円)になってしまった。2013年10月1日改正より阪神芦屋発着は朝夕のみとなり昼間は阪神西宮折返しとなり約20分毎への減便も行われた。, 2006年に阪神尼崎から難波、出屋敷を経由して尼崎スポーツの森まで開設。尼崎市南部に出来た尼崎の森中央緑地の中にあるスポーツ施設である尼崎スポーツの森へのアクセス路線である。なお、尼崎市内線(旧・尼崎市交通局。市バス)もこのエリアへの乗り入れ路線があるほか、尼崎・西宮市内からスポーツの森が独自に送迎バスを運行していることもあり、当路線はその選択肢の一つとなっている。平日ダイヤでの運行も行われていたが、2018年5月14日から土休日ダイヤのみの運行に変更となった[16]。, 開設当時、隣接地には工都尼崎再生のシンボルと目されたパナソニック プラズマディスプレイ(以下、パナソニックPDP[注釈 5])尼崎工場が設置され、パナソニックのプラズマディスプレイ事業撤退により2014年に閉鎖されるまで同工場へのアクセス目的も併せ持っていた。, 阪神出屋敷 - パナソニックPDP間は、市バス(路線番号・85番)と共同運行となり、阪神出屋敷は駅北口の市バス乗り場を共用(既存の路上にある「出屋敷」停留所にも停車するが、市バスは通過)している。2008年10月15日より阪神出屋敷 - パナソニックPDP間無停車の直行便が1往復のみ開設(土休日は臨時便も設定。市バスも1往復運行)された。この時点で乗降方式(阪神は後乗り前降り、市バスは前乗り後降り)や運賃(阪神は大人210円、市バスは大人200円)[注釈 6] の違いはそのままで運行されていた(後述の通り2016年2月1日より尼崎特区の新設により運賃は市バスに合わせられた[17])。これに伴い、当路線と市バスの両方に乗車できる共通回数券も設定された。この回数券は市バスは全線で利用できるが、阪神は出屋敷 - パナソニックPDP前間に限り利用できた。, 2010年4月26日のダイヤ改正で、阪神尼崎 - 阪神出屋敷間を廃止、阪神出屋敷 - 尼崎スポーツの森間を増便した。この時点ではパナソニックPDP折返便は夜間および土休日の朝に運行されていた。, 2012年10月28日のダイヤ改正で減便され[18]、パナソニックPDP折返便は平日朝の阪神出屋敷発の4便のみとなった。, 2014年4月1日、パナソニックPDP尼崎工場の閉鎖に伴い、「パナソニックPDP前」の停留所名が「末広町」に改称された。なお市バスは、一足早く3月1日付けで変更している。, 市バスから移譲を受けた後の2016年3月22日から、尼崎スポーツの森線であった阪神出屋敷 - 末広町間の便は、尼崎市内線85番に車種変更という形で統合された[19]が、尼崎スポーツの森発着便は阪神線のまま運行を継続している。出屋敷駅でののりばも同じであるが、出屋敷(路上)停留所については引き続き阪神線の便だけが停車している。また、経路上にある西宮尼崎線(および2016年まで末広町着で運行していた宝塚ローカル線)が停車する、高洲停留所には当初停車しなかったが2018年現在は停車している(阪神尼崎始発だった頃は昭和南通七丁目と竹谷小学校前も通過していた)。, 尼崎市内線は他の路線と異なり、2016年3月20日に旧尼崎市交通局の路線を引き継いで誕生した路線である。, 乗車方式は同局の方式を引き継ぎ、前乗り先払い・後降りであり、ICカードは乗車時のみタッチする方式である。経路ごとに路線番号が振られており、幹線、地域線の区分がある。, 車両については、旧尼崎市交通局を引き継いだ車両(虹色塗色)と、阪神バス仕様の塗色(他営業所からの転属車両および2016年の移譲以降に投入された新車)のものが混在する。車両についての詳細は#路線バス(尼崎市内線)を参照のこと。, 移譲にあたっては、市営バスの路線やダイヤなどサービスについて、3年間変更せず維持する規定が盛り込まれており[12]、移譲前に決定された小規模な改正が移譲とともに実施された。, また、2017年4月1日には、尼崎市役所武庫支所と尼崎東警察署の移転に伴う、停留所の新設と名称変更[24]、小規模なダイヤ改正[25]が実施された。, 2019年4月1日には路線の一部改編とダイヤ改正が行われ、22番を平日昼間のみ尼崎総合医療センター経由の22-2番に、31番は尼崎総合医療センター経由にそれぞれ変更。47番・47-2番は阪急武庫之荘からJR立花方面への経路を北雁替公園前[注釈 7]経由に変更。循環系統であった80-1番・80-2番は、南半分の阪神出屋敷 - 高洲 - 八幡橋 - 武庫川間を休止して北半分(琴浦神社回り)のみの80番に変更した。その他、停留所名の変更も行っている[26]。, 2019年7月26日には、更なる路線改編が行われ、尼崎東警察署前とJR尼崎 (北) の区間に停留所新設とそれに伴う経路変更が実施され、この区間を走行する48-2番、58番のダイヤ改正が行われた。また、このダイヤ改正で48番の昼間の運行が48-2番に置き換わった[27]。, 停留所名に付記された (北) (南) (上) (下)は、停留所の位置を表すものである。鉄道駅などで停留所が複数設置されている場合に路線によって発着する場所が異なることから便宜上つけられている。(北) (南) については概ね各駅の「北口」「南口」に相当するが、JR立花駅においては線路を跨ぐ形で交差する陸橋の上に設けられた停留所を (上) 、駅前ロータリーに設けられた停留所を (下) としている。, 近接停留所の名称は、2009年12月より順次統一される取り決めとなっているが、一部は改称されぬまま従前どおり維持されている。, 『尼崎市内線』という名称であるが、一部路線はわずかながら伊丹市内を走行している[注釈 9]。, また、尼崎競艇場とJR立花・阪急塚口を各々直通する、運賃無料の貸切ファン送迎もあり[28]、阪神バス移譲後は尼崎市内線車両に混ざり、阪神線車両も送迎に使用されている。, 阪急神戸本線の駅からJR神戸線(東海道本線)の駅を経て阪神本線の駅を結ぶ。